無価値感からの脱却 -根源編-

micchiについて
落ちるとこまで落ちたら

前回の続き(無価値からの脱却 -キッカケ編-)です。
本当はこれを書きたかったんだけど、いろんなストップがかかってすぐに書けませんでした。

最底辺に落ちるだけ落ちきり、
『もうほんとに上がるしかない。』
と肚を括り、足掻くことをやめた。

そしたら、差し伸べてくれる手があって、

「あなたはここに居るだけでいい」

と心の底から言い続けてくれる親友がいて、
わたしの未来を見てくれる人もいて、
そのおかげでここまで生きてこれた。

進むのはもちろん自分の意志と足なんだけれど、やっぱり自分の範囲だけでは見えないことがたくさんある。

外側からツンツンと突っついてくれたり、
自分の思い込みの外側からアプローチしてくれる人がいたことで、
気づけば、自信が生まれていた。

それは確固たるもので、根拠のある自信だった。

人によっては体感は様々かもしれないが、おかげさまでわたしは一年足らずでその自信がついていた。
だけど、そんな期間の出来事とは到底思えない。

十年くらい経っていそうな体感。

この間に、間違いなく底力みたいなものがついていたように思う。

ちゃんとそれぞれに必要な期間が用意されているのだなぁ。

 

急に出現したアレ

それは、ふいに目の前にやってきた。

ほんとに突然。

 

それがパンドラの箱だった。

 

わたしにとってのパンドラの箱とは

「母親との関係」

 

まぁ、みなさん誰しも何かしら親への思いを抱えて育ってきている。
わたしにとって母親の存在はなんとも消化できないしこりみたいなものだった。

気づけば「親元で育った年数」と「独り立ちの年数」がちょうど半々になっていた。
(ほんとに今気づいた。)

物理的な距離ができれば、人間慣れるもので、そんなに意識をしなくても生きていけて、不自由さを感じることなんか全くなかった。

だけど、やっぱり何かと出現する母親の存在。

 

私にとって母のイメージは

いつも苦しそう
いつも辛そう
いつも悲しそう
いつも忙しそう
いつもため息ついてる
いつも否定してくる
理解しようとしない
いつも申し訳なさそう

という感じだった。
もうほんとにこう言ってはなんだけど、エネルギーを下げられる感じがしてすごい嫌だった。
私がワクワクした気持ちで「こうしたい!」「こんなことしようと思う!」と伝えてもことごとく出鼻をくじかれ続けた。
もう、そこにエネルギー注ぐことが悲しくなるばかりだった。

だから家を出てからは極力会話をしないようになり、当然連絡は電話ではなく文字でのやりとり。
もちろん用事がある時だけ。

それなのに、突然電話がかかってきて
なにかあったのかと思って出たら

「明日、そっち行こうと思うんやけど」

って!!!

 

びっくり。

そして、いつもの私だったら「用事があるから」「仕事があるから」と、のらりくらりしつつ断っていただろう。

 

だけど

 

今回はなぜか会う必要があると感じた。

そして、気づいたら6年ぶりに会うようだった。
入籍前の両家の顔合わせの時以来…

 

『あぁ、これパンドラの箱だ。』と悟った。

『開くときがきたんだな。』と

 

やっぱり空気はいいものではなかった

そして、なんだかんだと会うことを決め、夫も交えて食事をした。

まぁぁぁぁぁぁ会話が弾まない!!!!
夫が笑いそうになるぐらい弾まない!

6年も会っていないのに話すことがほとんどない。母は別にSNSもなにもやっていないので当然私たちの近況も知らない。だけど、話が展開していかない。

『うーん。やっぱりあかんのかな。』

心の中ではそう思ってた。

 

だけど、視点を切り替えて
母をそのまま見てみよう!と思った。
真正面から今のそのままを。

 

そしたら、思っていたよりも
肌つやが良くて、ちょっぴり表情も明るい

ように感じた。

その時に気づいた。

『あれ?わたし、母の”今”を見ていなかった。』って

それはちょっと衝撃だった。

なんだかんだと静かなる晩餐を終え、その足で帰るというので見送りに。

最後に母が、おもむろに封筒を出してきた。
退職金の一部をくれるという。

さすがに受け取れない!

退職金と言ってもこれまでの経済状況、これからの状況を考えても受け取るべきものではない。
父もいない。再雇用とはいえ、給与はこれまでよりも減っている訳だし…などなど受け取れない理由はたくさん。

だから、夫とふたりですぐ断った。

 

だけど母は

「これは、お母さんの気持ちやから」

って。

 

なにも言えなかった。

受け取らざるを得なかった。

 

すっきりと「ありがたい!」と心から言える状況での受け取りではなかったけれど…

受け取るしかなかった。

その後、なんとも言えない気持ちを抱えて家に帰った。

 

受け取ることがもたらすもの

未消化のまま家に帰って、しばらく呆然としてしまった。

どうこれを受け止めたらいいのかわからない。

会うことを知っていた親友からちょうど連絡があり、感じたことをそのまま報告をした。
そしたらこんなことを言われた。

『お母さんは渡すことで救われるんやと思う』
『だから受け取ることは、お母さんを救うこと』

 

ああ、そういうことか。って
そうだったんかって腑に落ちた。

わたしが受け取ることで、お母さん自身が持っていた罪悪感とか無価値感を昇華してあげることができたんだと。

わたしがいろんな気づきを進めることで、母も一緒に進んでいたんだ。

 

受け取ることは、与える側にとってもギフトである。ということは頭で分かっていたけど、救うことにもなるというのは本当に衝撃だった。

 

そして、もう一つ気づいたのは

私はお母さんのことずっとを「嫌い」だと思ってきたけれど…

お母さん自身を嫌いだったわけではなくて

お母さんが悲そうしてしてるとか、苦しそうにしている。姿を見るのが嫌いだったのだと。

 

なぜ嫌なのか?

= 私がお母さんを笑顔にできていないから
= 役に立っていないから

つまり…

 

私は無価値である

 

と思い知らされるから!!!

 

ということが繋がって、なんとわたしの無価値感は母からの影響だったのか!と

 

発端はが故だったのが、だんだんとねじれが生じ、承認欲求に変わり、いつまでも満たされないと外側にばかり求め続ける。何かを埋めなくては!穴を補わなければ!と躍起になっていた。

 

キッカケ編でもお伝えした通り、どん底に落ちて何にもなくなった。
だけど、ちょっとずつ底力をつけたら現れたパンドラの箱。

それを無視せず開いたことで、母自身の罪悪感や無価値感を昇華に繋がり、私自身もそこから脱することができた。

 

だれも世界はあなたを見捨てない

こうやってわたしは無価値感から抜け出した。
だから最強になったとか、完全にクリアになったかとかではないと思う。
ただ、大きな山場を超えた感覚だけは確かにある。

浮き沈みを繰り返しつつ、また成長していくのだろう。

もっと微細に感じたことはあるのだけれど、大事なことはそこではなく、どれだけ最悪な自体でも、やっぱり生き続ける以上は救われるときが来るのだと私は心から思う。

それぞれのフェーズで起こる出来事は試練と言ってしまえばそれまでなのだけど、やはり越える必要があるからやってくるし、超えられるからあなたのもとにやってくる。

試練の大小は人と比較できない。

自分の中でひとつひとつ超えて、地力をつけていくことが何よりの財産となる。

私は、どんな状態になっても諦めず、たとえその意思が消えかけていたとしても、進み続けようとする意思を持つ人の力になれたら本望です。

長々と読んでくださってありがとうございます。
これを読んでくださったあなたにも光が射しますように。

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