バイバイおっぱい。ありがとうおっぱい。長期反抗期からの離脱。

micchiのひとりごと

乳がんが発覚

とても個人的なことではなるのですが

大切な経験と気づきになりましたので

ここに書き記しておきたいと思います。
(人によっては苦手な表現があるかもしれません)

 

昨年(2019年)の末頃、突然母から電話があり

「お母さん、乳がんになったわ」

と言うのです。

 

そして、あれよあれよと

詳しい検査の結果が出て

大きさとガンの性格上、摘出手術がすぐ決まり

先日、手術に立ち会ってきました。

 

はじめての立ち会い。

かかった時間は2時間ほど。

手術室すぐ傍にあるガランとした待機室でひとり待ちました。

 

終わってすぐに声をかけられ

執刀された先生のもとに行くと

目の前にタッパーのような容器が。

 

「見ますか?」と

割とライトに聞かれたので

「はい」と

 

中にあったのは

摘出された右の乳房でした。

おもむろに目の前に出され

切り取られたモノをこの目でハッキリと見ることに…

 

まさかそんなこととは知らず

びっくりする間もなかったのですが

「ああ、わたしこの方に育ててもらったんだよな」

とも、思ったのです。

 

このおっぱい様に育てていただいたんだ。

と。

 

そう思うと、思わず手を合わせそうになって

やめました。
(最近、つい手をあわせてしまう癖が…)

 

なんというか、

悲しいとか

辛いとか

痛いとか

そういった感情ではなくて

 

ああ、旅立っていかれるんだ。

母自身が長らく抱えていた様々なシコリが取れたんだ。

 

という感覚の方が強かったように思います。

 

その後、ベッドに横になったまま

部屋に運ばれる母の姿を見て

また形容し難い感情が出てきて

病室まではただ先生方の後ろをついていくだけでした。

 

自分の居場所が欲しかった

実は、昨年の11月に母方の祖父が亡くなり、

わたしの中で一大決心をすることになったんですね。

 

それは

母の家に立ち入ること。

 

両親は、わたしが18歳で家を出たあとに離婚していて

今、母が住む家には何の思い入れもなく

実家という感覚が全くありません。

 

そして、

母は掃除・片付けがとてもとても苦手な人で

それによってわたし自身小さい頃に

喘息・アトピー・ハウスダストアレルギーを発症してしまうぐらいの状況でした。
(よく顔や手がボロボロで水泡だらけにもなっていました。)

 

物心ついたときから両親の仲も良くはなく

家に居ても、学校でもわたしの居場所は全くなく

ずっとずっと、小学生ぐらいの時から

早く一人暮らしがしたい。

早く大人になりたい。

と切望してきました。

 

ひとりで住んだら

自分なりに気持ち良い空間にして

ご飯もしっかり作ろう

自分で自分の居場所を作ろう。

そう思っていました。

 

「普通の暮らしがしたい」

 

おそらく、わたしはそう願っていたんです。

 

部屋に光が差した

ある意味、その幼少期の環境によって、

潔癖症まではいかずとも

ほこりとか、水まわりの汚れとか

整理整頓されていない空間とか

風通しできてない場とか

空間に対してとても敏感な体質になってしまったのです。

 

それもあって、

一人暮らしを始めてからの18年間で

母の家に入ったことは

1度だけ。

 

だけど、

祖父の死によって突き動かされ

母に向かって

「家を片付けよう!」

と告げたのです。

 

これまで、これはわたしの領域ではない。

だから

「立ち入ってはいけない。」

と言い聞かせてきたんです。

でもそれは、単に”臭いものに蓋”の状態でした。

 

部屋の状態以外にも

母の批判的な態度や、陰気な空気、など

やる気を削がれる態度に毎度毎度メンタルがえぐられ続ける

ということが、

より母との距離を更に開けることに繋がっていて

親子であっても必要な距離がある。

と、割り切っていました。

 

しかし、昨年末に

意を決して立ち入り、

積もりに積もった色々な山を

切り崩していきました。

 

それはもう無心で。

 

時折、ゴミの山を目の前にして

これがあることで母は護られていると感じてたんだよなぁ。とか

もう大丈夫です。とか

そんなことを思ったり、言ったりしながら

 

超超超大量のゴミ袋と

サイズの合わない家具

などを一斉に退け

わたし的には完全ではないものの

空間を確保したんです。

 

暗かった部屋に光が入るようになりました。

 

そしたらその数日後に

母が思い立って検査をした結果

乳がんであることが分かったのです。

 

話を聞くと、実は1年前から気になっていたものの、放っておいたと。

部屋にスペース(ゆとり)ができたことで

母が自分自身のことを見るゆとりができたのだと思いました。

 

今までずっと反抗期だった

そして迎えた手術の立会い。

 

術後、病室に戻り、個室だったこともあって

2人きりで少し話す時間ができました。

ポツポツと話す中で、

これまでいかにわたし自身が

母親のことを見ていなかったかが分かりました。

 

母の気持ちに寄り添うこともできず

自分のことで精一杯で

全く見れる状況ではなかったのです。

 

だけど、こうしてシコリがなくなった母と対面し

今の今まで私は

 

ずっと反抗期だったんだ。

 

ということが分かりました。

 

ここでの反抗期って

俗に言うものとは少し違うかもしれませんが

親に抵抗感があるという点ではずっとずっと反抗していました。

 

この人には敵わない

母に

今回の手術で後悔はないか

摘出することに抵抗はなかったか

ガンと分かってから今までどんな気持ちだったか

 

など、聞いていたのですが

 

なんというか・・・

この人、こんなに強い人だったんだ

 

というのが受けた印象でした。

 

言葉は少なかったのですが

それでも、後悔みたいなものが感じられなくて

潔さとか、そういったものすら感じるほど。

 

その姿を見て、

 

母には敵わない。

 

と感じました。

 

そりゃそうですよね。

わたしぐらいの年齢のときに

ほぼひとりで3人を育て、

わたしたちが知ることもない

想像を絶するぐらいの想いを抱いて

ここまで生きてきているんですから。

 

もう、降参しました。

 

この歳になってようやく理解すること

許せることができました。

 

きっとその許せたこととは

私が母に対して、というより

わたしがずっと抱き続けていた

少し曲がった罪悪感なのだと思います。

 

無価値感からの脱却 -根源編-
最底辺に落ちるだけ落ちきり、『もうほんとに上がるしかない。』と肚を括り、足掻くことをやめた。そしたら、差し伸べてくれる手があって、「あなたはここに居るだけでいい」

この記事を書いたときも母との関係に対する大きな気づきはあったのですが

今回の経験は更にそれを超えるものでした。

 

母を心から尊敬することができてよかった。

いつか、もっと分かり合える日がやってきますように。

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

※ちなみに、幸いリンパに転移もありませんでしたので、摘出だけで済むことを願うばかりです。

弟2号も上司の優しさにより駆けつけてくれました!

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