「わたしのせい」は勝手な思い込みと◯◯の証

micchiのひとりごと
それは責任から?それとも戒め?

突然ですがあなたは
「わたしのせい」
という言葉にどんな印象を抱きますか?

強い責任感?
優しさ?
自己卑下?

 

これまでわたしも

「わたしのせいで」と思うことが、とても×100多かった!

 

いろんな要因はあるけど
おそらく、無意識でそれが美徳と感じていたから。
あと、すべては自分の責任である!という考え方から来ているのもある。

 

だけど、それを他者から自分へ向けられた時に

ものすごい違和感を感じました。

 

「わたしのせいでごめんなさい。」

 

この言葉に
ある種、恐怖のような感覚すら覚えたのです。

 

それと同時に「わたしのせいで」って、とってもあつかましいなって思ったんです。

あつかましいという言葉の表現が合っているかはわからないけれど
「なんで”あなたのせい”と勝手に思うの?????」と・・・。

ある種、ねっとりとした重みのある感情に、単純にものすごく嫌悪感を抱いた。

「わたしのせい」では解決しない

その違和感をもう少し見ていったときに気づいたことがありました。

「わたしのせい」と罪悪感を抱くこと自体がもう傲慢なのではないか!?と

どこまで自分中心に捉えるねん!と思ったんですよね。
悲劇のヒロイン的な。

 

これは逆の立場になったから気づけた視点かもしれません。

そして、色々なケースがあるので一概に言い切れませんが、この世界は相互の関係性の上で成り立っていて

どちらか一方だけが事象の原因になるということはあり得ない。

と私は思うんです。

 

だから、お互い様なんですよ。

 

こんなこと言うと極論を出す人もいるかもしれません。

でも、やはり相互の関係があったから生まれた現象であるということに違いはない。

と考えると、「わたしのせい」と捉えることって違和感が出ます。自分も含め、誰かのせいにすることでその場を収めようとしている。でもそれは解決ではなく、その場しのぎでしかないんだと。。

根本的な解決は「わたしのせい」にはないんですよね。

その根源は被害者意識から

そういえば、小さい頃から「わたしのせいでごめんない」って心の中で唱えてた自分がいたことを思い出しました。

3人姉弟の長女ということもあり、
私がしっかりしていなくちゃ!
誰に課せられたわけでもなくいつも思っていました。

 

小さい頃から空気を読む、大人の顔色を伺う
つまり、察知するということをずっとしてた。

 

いま思えば自分を守ろうと必死だったのかもしれません。

きっと同じように小さい頃から自分で勝手に背負ってしまう人は多いのではないかと思います。

その根っこの部分って、刷り込まれた 被害者意識 ではないかと思うんです。

(自己犠牲と被害者意識は同等だと私は捉えてます)

それを潜在的に持っている。
しかもそれは、大きな塊がボコ!っとある
というより、薄い膜みたいなものがミルフィーユ状に何層にもなって重なってるようなイメージ。

どうすればなくなる?

では、その被害者意識はどうすればなくなるのか?

今のところ私の中で出ているひとつの答えは

 

人に迷惑をかける

 

です。
というか、それを認める。

わたしは、人に迷惑をかけて生きてる!!!

という感じ。

 

おそらく、すでに迷惑をかけたくないのにかけちゃう現象がボコボコ起こっているはずです。

それだったらもう認めちゃうしかない。
少なくとも私はそこに強い抵抗感があって、人様に迷惑をかけるくらいなら自分がそれを背負う方がいい。
と思って生きてきました。

だけど、意に反してどんどん迷惑をかけることになる。

それはそれは自分のことが嫌になりまくりました。

 

言葉では人に迷惑をかけずに生きられる人なんていないってわかってる。

 

だけど、それを自分が許せているかどうか

 

これが大きく進む方向を分けるとようやく気付いたんです。

そしたらね、少しずつぺりぺりと剥けてくるわけです。

剥けるので、やっぱりその時はピリッとするんです。
心が

けど、ちょっとずつ自分自身に透明感が出てきます。

 

自分にとっての

タブーを犯す

やってみて。

めっちゃゾワっとするから。

 

でも、死なないから。

 

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