「依存、ダメ絶対」は本当にそう?

micchiのひとりごと

変わるもの、変わらないもの

2年前の春分の日に「宇宙元旦アチューンメント」
というものをお届けしていました。

ご自身で意図設定の内容を決めていただき
それぞれにお繋ぎするというものでした。

当時いただいた内容を改めて見ていたのですが、
みなさんそれぞれに意図したことの流れに
乗っているなと感じたのです。

現実としてその通りになっている方
そこへ向かっている途中の方

当然個人差もあり、
すでにその意図は必要なくなった方もいるはず。

価値観が変わることは必然で、

変わらない想いも
変わっている想いも

どちらも素晴らしいのです。

どちらが良くて、悪いなんかない。

大切なことはあの時、
意図することを決めたこと。

そして、意図したことによって
動き出したものが確実あるということ。

2019年の設定風景

念頭にあったもの

今年お届けすることになったアクティベーション
お申し込みの方からいただいたメッセージに
こんなお声がありました。

本当は気になって仕方がなかったけれど
何かに頼ってしまうこと自体がダメなんじゃないか…
依存してはいけないのではないか。と躊躇していましたが、決めました!

という素直な言葉を頂戴しました。

この葛藤、本当によくわかります。

わたしもずっと

依存してはいけない。
させてはいけない。

特に、いまのお仕事をさせていただくようになってから

「依存させてはいけない」

ということが強くあり、

クライアント様との距離も深入りしないよう、
一定の距離を保つようにしていました。

伝える言葉も、提供する内容も
自分自身の態度も

それを念頭に置くように。

だから、

いつかはわたしから離れてもらわなければ。

卒業していただくことが本望なのだ。

それがこの仕事のあり方として正しいものだ。

 

そう思っていたんです。

だからこそ、わたし自身も
なにかに依存ないように努めなくては!と。

その「なにか」とは

特に人に対してが強かったと感じます。

依存、ダメ絶対…?

しかし、ふと

「依存ってなにがいけないの?」

と問い直すきっかけがありました。

依存の定義や捉え方に関しても
個人で様々だと思います。

しかし、「依存、ダメ」という思い込みが
一人歩きしているようにも感じたんです。

そもそも、依存状態ってどういうもの?

依存と

頼る、愛用、活用、拠り所、支え合い

これらと、どう違うのかと。

 

とても平たい表現になってしまうかもしれませんが

生きる上で、私たちはすでに
たくさん依存してるんですよね。

植物、食べ物、社会、家族、肉体、、などなど

酸素にも依存しているし。

 

わたしは言葉の捉え方や扱い方って、

昔からとても大切だと思っていて、

イメージだけで定義付けしてしまっていると

本質が見えにくなってしまうことが

結構あるなぁと思っているんです。

定義付けとは、
自分がこれは当然だと思っている価値観ですね。

 

価値観の再定義

改めて「依存」というイメージの定義を
見直ししたとき、気づいたことがありました。

依存をと捉えていると感じたのです。

しかし、前述したように

すでに私たちは
何かに依存しているからこそ
生きることができている。

依存することをやめること

それが自立なのではなく

自分は依存することで
成り立っている存だと認め

依存先に対する感謝敬意をもつ。

それが真の自立なのではないかと思ったのです。

 

そう捉えたとき、
依存=悪 と捉えていた価値観が変わりました。

そして、

悪=否定 でもあったため、

自分の中に無意識に芽生えていた否定が
なくなった瞬間でもありました。

そこから依存に対する捉え方や
感情すらも変わったんです。

この意識は何にでも通ずると思います。

 

春分アクティベーションの案内後半でもお伝えしているのですが

自立と孤立は違います。

漠然と「正しい」と思っていること奥には
ブレークスルーの種が宿っている。

そして、実はブレークスルー自体が

次元上昇や解放、ステージアップでもあると感じます。

 

今回の春分アクティベーションでも
価値観の再構築、再創造が起こるはずです。

ぜひあなたもブレークスルーのきっかけに
春分アクティベーションを活用ください。

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陽への解放 ※丁寧にお伝えしたいがために長文になっています。 すぐにお知らせを確認されたい方はをご活用ください。 2021年3月20日 春分の日を迎えます。 この日、昼と夜の時間がほぼ同じになります。 昼を陽 ...

 

 

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