【レポート】12/19双子座満月エネトリ:極まるからこそ育まれる

レポート

今年最後の設定の地

2021年最後の満月エネルギートリートメントは
縄文時代晩期から続く神域にて設定を行いました。

中でも高鴨神社は、全国鴨(加茂)社の総本宮。

「カモ」は「カミ」と同源であり、「カモす」という言葉から派生し、「氣」が放出している様子。

カモす=醸す

発酵であり、発光です。
氣を発するとは、発光しているということ。

光は可視光線だけでなく、可視できない光もある。
つまりは、波動ですね。

この神氣漂う土地にこの度ご縁をいただけたのも、御祭神が甦りの力を持つ神様だったから。

まもなく迎える冬至は、太陽の復活とも言われる。

これはとても好機でした。
そして、これ以外にベストなときもなかったのだと感じます。

辿り着いたその場所

こじんまりとした印象を受ける鳥居を潜ると
すぐ傍に池があり、そこには数羽の鴨が悠々と泳いでいました。

境内はよりヒンヤリとした氣を放っていて
居心地の悪さや拒絶は感じません。

気品みたいなものがそこかしこにありました。

本殿にはじまり、ぐるりと挨拶をして回ると
小さなお社がいくつも点在していました。

わたしはその存在感に目を奪われました。

「宿っている」

そう感じる前から、ひとつひとつに深々と一礼していました。
敬う心が自然と行動と一致していたのです。

あとでわかったのですが、この小さなお社は15もあり
そのすべてが檜皮葺きの造りになっていました。

宿っていて当然だったのです。

そうやって敬いと、この地に来させていただけたことに感謝をしつつ一番奥まで向かいました。

そして、最終的に設定を行なったのです。

ひかりをとらえるは・・・

この設定で受け取ったメッセージはこちらです。

凍え震える時を経て
迎えた陽(ひかり)

陽の恩恵が身に沁みる
どこまでも行き渡り
自然と胸で手を合わす。

暗く凍え震える時、
それはそれは長く果てしなく、
終わりがないと絶望することもあっただろう。

だけど時は移るのだ、
絶えず動き続けている。

判断が危ぶまれることもあるだろう。

目の前が真っ暗になり
何も見えず、何も感じられない恐怖を
抱くこともあっただろう。

だけど時は移るのだ、
絶えず動き続けている。

陽は常にある。

その目に映るか否か、
それはさほど重要ではない。

己が心を信じよ。
心は陽をとらえる。

極まることで知るありがたみ

いかがでしたでしょうか?

先程のメッセージは、
単にいつかひかりは現れるということを
教えてくれているのではなく、

陰のときを経るからこそ、
ひかりを認識できる心が養われる。

と伝えています。

何事もそうですが、対極を体験することで、
その反対側のありがたみがわかりますよね。

陰極まりつつある今、それはまさしく
ひかりのありがたみを感じる心を育んでいるときなのでしょう。

最後に

いまは、急激な変化の余波とか、澱となって溜まっていたものが噴出てくるようなときだと感じています。

それによって、さまざまな痛みも呼び起こされていたり、見えなくなっていた課題だとか過去の記憶みたいなものも露呈していたりもするかもしれません。

そして、周りと自分の乖離を感じやすくなっているかもしれません。
強い嫌悪感を何かしらに抱くとか、モヤモヤと表現しにくい感情が留まっているとか。

どうして今更こんな感情を味わう必要があるのか。
どうしてこんな状況になっているのか。

ちょっと頭を抱えてしまうようなことにもなっているかもしれません。

だけど、それでいい。
まざまざと見つめていくしかない。

そうやって、真正面から受け止めようとする意識が、昇華のルートを生み出してくれるのだと感じています。

その気持ち悪い感覚を払拭するためにジタバタしたくなるかもしれません。
むりやり行動しなければ!と躍起になっていることもあるかも。

だけど、いまは待つことも大切。

冬至が一陽来復と呼ばれるように。
太陽があがるときをじっと待つ時間も必要なのです。

行動することがすべてとは限りません。
待つことの方が忍耐力を使います。

行動することの方が楽だったりするわけです。

希望の光はもうすぐ。
今はまだそのあたたかさを感じることができないかもしれない。

いつまでこれが続くのか。と絶望しかかっているかもしれない。

だけど、そんなときでも育まれているものがあるのです。

影の時でしか育たないものもある。
見えないから、感じないからと ”ない” ことにしないでほしいのです。

もう少し。
あと、もう少しだから。

陽の光はもうすぐ上がります。

 

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